本柳寺の山門は、かつて龍野藩主の脇坂公から寄贈されたものと伝えられています。
山門は重厚で優雅な姿を見せており、寺院の入口として参拝者を出迎えます。その独特の造りには、当時の藩主の思いが込められているようです。
また、山門は単なる入り口以上の意味を持っています。この門を通ることで、参拝者は寺院の境内に入り、そこにある静寂と厳かな雰囲気に包まれていきます。
山門は、仏さまとの出遇いを告げる大切な役割を担っているのです。
山門、土塀、石垣の記録
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1591年(慶長二年)4月 - 第五世住職 祐視
表通りの土塀を構築しました。
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1592年(慶長三年)3月 – 第五世住職 祐視
表門が建立されました。
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1644年(寛永二十一年)3月 – 第七世住職 圓龍
表通りおよび東通りの土塀を増改修しました。
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1774年(安永三年)4月 – 第十三世住職 覺応
表門の地上げを行い、土塀の基礎石を入れて固めました。
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1799年(寛政十一年)2月 – 第十四世住職 覺音
表通りの九間余りの土塀および石垣を改修しました。
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1846年(弘化三年)5月 – 第十五世住職 覺性
表通りの九間余りおよび西通りの五間余りの土塀および石垣を補強改修しました。
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1872年(明治五年)4月 – 第十六世住職 覺範
表門の再興が成就し、現在の四ツ脚門が建立されました。
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1876年(明治九年)3月 – 第十六世住職 覺範
土塀および石垣の補強改修が行われました。(裏通り、東通りの三十間余り)
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1889年(明治二十二年)4月 – 第十六世住職 覺範
西通りの土塀および石垣の補強改修が行われました。
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1979年(昭和五十四年)5月 – 第十九世住職 覺證
表門の屋根を全面的に新品の瓦で葺き替え、各部を細部まで補強改修しました。同時に表通りの土塀も全面改修されました。